14歳の国

ポケティプロジェクト VOL.4

「14歳の国」

作:宮沢章夫

 

宮田忍

田井敦子

市谷まど香

諸岡君代

植田良子

 

 

原作は男性5人で上演する作品を、女性で演じました。

この作品には、短いセリフ「あぁ。」「うん。」「それで?」が

たくさん出てくるのですが、これが案外、そのセリフが飛んでしまうことで

エピソードを丸々ひとつ飛ばしてしまうという、恐ろしい作品でした。

 

しかもこの時は演出を立てずに役者5人だけでつくっていたので

誰が間違ってどのシーンが飛んだのか、振り返ってもわからず。

 

公演前日にはファミレスで5人で小声でセリフ合わせをしたという、

多くの逸話を残した作品です。

 

とはいえ、ポケティのオリジナルメンバーである、

諸岡、宮田、市谷、田井、植田の5人で舞台に立てたことは

感慨深かったです。

(植田良子)

 

 

シュガーレス

ポケティプロジェクト VOL.3
「シュガーレス」

 

作 やまもとけいぞう
演出 植田良子

 

出演 宮田忍、北條きみよ、植田良子
一宮正人(劇団冒険主義)
森裕美(劇団空想力学)
藤田和歩(高松西高校)

 

2003年1月26日 高松市生涯学習センター

 

風のない夕方
太陽がビルの向こうに消えて
都会のいろんなものが交じり合った

あの低いゴーっていう音が一瞬止むとき。
仕事が終わって
みんな両肩に乗っかった重い石を下して
ふっとため息をつくとき。

まるで奇跡のようなあの一瞬の静けさの中
あの音が聞こえてくる。

--突然姿を消した少女をめぐる人々の
「夢」の物語--

 

「シュガーレス」は、ポケティとしては
2本目のやまもとけいぞう作品であり、
初めて外部から俳優を招いた作品であり、
そして、私が初めて演出を手掛けた作品です。

その頃の私の耳にはいつも、物語に出てくる
屋上を吹き抜ける風の音が聞こえていました。
「風」はやまもとけいぞう作品における
重要なモチーフのひとつです。
「風」って一体なんだろう。
今でもその答えがわかったわけではありません。

ただ、「風」は、世界を吹き抜けると同時に
心の中に吹くものであり、
「風を感じる」ことで、観ている人が
物語を共有できるのではないかと考えています。

その考えは、私の演劇観の原点になっているように思います。
このときはまだ力不足で、十分に物語の世界を
立ち上げることができませんでしたが、
いつか、劇場に風を吹かせます。

 

(植田良子)

ダイエット

ポケティプロジェクト VOL.2
「ダイエット」

2002年5月4・5日
あかつきホール


宮田忍
諸岡君代
植田良子
市谷まど香
田井敦子

 


「ダイエット」はポケティプロジェクト第2回公演ですが
本公演というよりも遊び心満載の、実験的公演に
近いものがありました。

私と宮田が同一人物を演じた作品です。
このキャスティング、自虐的でございました。
小道具や衣装のみにこだわり、
大道具らしきものは一切使わず、
今思えば、恥ずかしいほどに拙い作品だったわけですが、
「なんだよ楽しいな!」という気持ちも思い出します。

というか、それぐらいしか思い出せません。

やたらめったら何かしら作っていました。
特殊メイク用品まで購入して、
何かに憑りつかれていたとしか思えません。
(特殊メイクは結局使いませんでしたが)

初めて自分の顔でライフマスクを作成!
芝居に活かされることはなく、
私の満足心だけが満たされました。

ああ、楽しかった・・・  (諸岡君代)

 

恋するロボット

ポケティプロジェクト旗揚げ公演

 

「2001年版 ボクラノ時代 -恋するロボット-」

2001年10月6・7日
あかつきホール

 

 

キャスト

山田佐代子 植田良子   ロビイ   宮田忍
上野由香里 田井敦子   吉山亜矢子 市谷まど香

 

 

スタッフ

作 やまもとけいぞう
演出 北條きみよ
舞台 川田正明
音響 淀谷由紀
照明 小野坂有里子

デスク 植田良子
フライヤーデザイン 植田慎吾
ロゴマークデザイン 田中規幹

制作 ポケティプロジェクト

 

 

私は知らない。たぶん、私は、恋というものを知らない。いつからか、私の心の中には、あの人がいて、私は、その姿を追い求めている。ある時、あの人は、私に、やさしく微笑む。別の時、あの人は遠くを見る。たぶん、遠くの海を見る。そして、私を振り返り、何故だか悲しそうに微笑む。時には、私はあの人に甘えることがある。あの人も私に甘えることがある。また別の時、あの人は、私の、すぐ隣にすわっている。それは、やわらかな日差しの差し込む喫茶店で、あの人は、私のすぐ隣にすわっている。私は、手を伸ばし、あの人の手に触れる。あの人は、私の手を握り返す。その手のやわらかさ、私は、それを記憶に留めようとする。こんなふうに、私は、起こったかもしれない私とあの人の出来事を、一つ一つ確かめていく。そして、どうしてもわからないことがあることに気付く。何故、あの人は、あんなふうに悲しそうな顔をして微笑んだのか。私達は、喫茶店でいったい何を話したのか。こんなわからないことを考えようとすると、何故だか、喫茶店の誰もすわっていない椅子のことばかりが、思い浮かんでくる。第一、私には、あの人の顔が、まるでわからない。記憶のその部分だけが、欠落したように、白い。まるで、誰もすわっていない椅子が白く光っているようだ。あの白さ。あれは喫茶店に差し込む日差しの白さだったのか。それでも、私は、必死にあの人を思い出そうとする。ひょっとしたら、一度も会ったことのないあの人の記憶を、探し求める。とうとう、私は、思い浮かべられる限りの異性の姿を思い浮かべる。そして、その中に、あの人の姿を探す。しかし、あの人は、その誰とも似ていない。そればかりか、まるで、あの人は、現実には存在し得ないようなのだ。現実の人間は、それが現実に存在するというそのことで、既にあの人とは違ってしまっているような気さえしてくる。あなたは、いったい誰なの。でも、いつからか私は、あの人が現実の人間として私の前に現れるときを待っている。これが恋ということなのかもしれない。でも、もしそうならば、私は、いったい誰に恋をしているのか。だから、たぶん、私は、恋というものを知らない。私は、知らない。

 

空腹で何かを食べたいと思うことや、睡眠不足で眠りたいと思うことが、

いったいどんなことか疑問を持つことは、まず絶対にないんだけれど、

人間の気持ちというものはそう単純なものばかりじゃなくて、

人を恋する気持ちなんていうものは、

恋する本人にしても、なんだかわからない気持ちなんじゃないだろうか。

 

恋するということを知らない人に、そのことを説明しようとする場面を想像すると

これは多分もう笑うしかないわけで、このお話は、それが出発点。

 

でも、そんななんだかわからない人間という存在は、

そうだからこそ素敵なわけで、人間が生きるっていうことが

少し悲しくて、でもとても素敵なことだと思えたら、

ゴール、というわけです。